文藝同人誌 『八月の群れ』 公式ブログ

mure8.exblog.jp
ブログトップ

<   2014年 05月 ( 8 )   > この月の画像一覧

神戸エルマール文学賞文芸講演会のお知らせ

野元です。文芸講演会の案内がありましたので、同人のみなさまにお知らせします。ご希望の同人は野元まで申し込んでください。

神戸エルマール文学賞

第7回文芸講演会 ご案内(写し)

 あざやかな緑の季節になりました。皆さま方にはますますご健勝のこととお慶び申し上げます。

 兵庫県、神戸市、各新聞社のご後援はじめ皆さま方のご支援により「神戸エルマール文学賞」は8年目を迎えることができました。心より御礼申し上げるとともに、今後ともよろしくお願い申し上げます。

 つきましては、さらに深く広く文学の可能性を考え、次の10周年をめざして、本年も恒例の文芸講演会を下記のとおり開催いたしたいと存じます。前6回は作家、新聞社、出版社などの視点から講演会やシンポジュムを開催させていただきましたが、今回は当文学賞の本来の目的である同人誌や同人作家の支援の趣旨に密着した文芸講演会を下記のとおり開催しますので、ご案内申し上げます。

なお、講演会終了後、講師を交えた懇親会も行いますので、是非、お越しいただけますようご案内申し上げます。

       20145月吉日

神戸エルマール文学賞基金委員会

  代 表  島 京子

  理事長  石井 亮一

1.日時 

2014622日(日)(受付1230)開演13001445

2.場所

     ラッセホール(兵庫県教育会館)「ハイビスカスの間」

                 〒650-0004 神戸市中央区中山手通4丁目10-2

                  ☎078-291-1117(代表)

3.講師

     文芸評論家・法政大学名誉教授

勝又 浩 

4.演題

「同人雑誌の過・現・未――最近の文学動向を睨みながら――」

5.入場料 

     無 料(ただし、事前予約制)

■申込締切 : 614日(土)

6.懇談会 希望者のみの自由参加です。15001630

会費 3500

     ラッセホールレストラン1階) 

7.問い合わせ先

     神戸エルマール文学賞基金委員会事務局

         野元 正 (☎&Fax 078912-8549)  


[PR]
by hachigatu_no_mure | 2014-05-31 01:35 | お知らせ | Comments(0)

さくらんぼ

f0328926_20584204.jpg

同人の追洲流です。

4月に花吹雪をとりあげましたが、その桜の下を通りかかると、小さなサクランボが成っていました。大きな木に数個しか実っていませんが既に赤く色づいており、見かけは美味しそうです。鳥はたくさん飛んでいるのに食べている様子がない所を見ると、きっとまずいのでしょう。そんなことを考えていたら、太宰治のことを思い出しました。太宰は子や妻のことを思いながら、甘いさくらんぼを苦々しげに食べていました。

私は十年ほど前の六月に仕事で山形に行きました。そして、空港から市内に延々と続くさくらんぼの畑と、その彼方にまだ雪を残す月山を眺めました。太宰とはおよそ趣がことなる森敦の小説「月山」が思い起こされ、不思議な気持ちになったことがあります。

桜桃忌、来月19日です。



[PR]
by hachigatu_no_mure | 2014-05-27 21:00 | Comments(5)

神戸「みどりの塔」の謎

f0328926_09542584.giff0328926_09553452.gif

 野元です。
源平合戦一の谷の戦いで名高い神戸の須磨浦公園に奇妙な塔がある。昭和16(1941)に紀元2,600年記念として建てられた塔だ。正式名称は「八紘之基柱」(はっこうのもとはしら)だが、一般には「八紘一宇の塔」(はっこういちうのとう)と呼ばれ、高い柱のような塔があったという。「八紘一宇
)」とは、「日本書記」の<六合)(くにのうち)を兼ねて都を開き、八紘(あめのした))((おほ))ひて((いへ)にせむこと、亦可(よ))からずや>から出典。本来の意味は<世界を一つの家とする>という確かに平和思想の意味だが……太平洋戦争のとき、日本の海外進出を正当化するための標語として使われた。現在はその台座を利用して、新谷秀雄『薫風』と題する女神像に変わっているが、塔の背後に神武天皇の東征や富士山のレリーフが残り、コンリートで塗り籠められていたが剥落した碑文(神武天皇橿原ニ建国元肇ノ大典ヲ行ヒ給ヒ吾等カ遠祖亦ソノ禮ニ侍シテ威儀ニ備ハル神獣皇皇タリ勅シテ宣ハク八紘ヲ一宇トシ……判読不能)もある。また、台座には大東亜共栄圏を示すらしい地球儀や伊勢神宮や橿原神宮や皇居を遙拝する方位板もある。GHQは「八紘一宇」を平和思想との日本側の主張を入れて完全破壊は免れたようだが、「平和の塔」とは、考え方によっては極めてきつい風刺にもとれる。

f0328926_09551643.gif



[PR]
by hachigatu_no_mure | 2014-05-21 10:29 | 日々雑多 | Comments(2)

白い花が咲く頃

f0328926_17251098.jpg

八月の群れ同人の追洲流です。


家の外に出ると良い匂いがしてきました。ご近所の庭で毎年咲くジャスミンです。写真を取っていたらキアゲハが寄って来て盛んに蜜を吸っていました。この蝶を取って家の中に離すとジャスミンの香りと共に舞うのだろうか、と想像してしまいました。更に歩くと夏ミカンの花も咲いていました。舞子墓園にも良い香りのする白い花を付けた背の高い木があったので、調べて見るとニセアカシア(和名ハリエンジュ)でした。蜜はミツバチが好み良い蜂蜜がとれ、実は人も食べられるとのこと。

これらの白い花を見て、昔良く聞いた「白い花が咲く頃」という歌を思い出しました。

 

♪白い花が咲いてた。ふるさとの遠い夢の日。さよなら、と言ったら、黙ってうつむいてたお下げ髪。悲しかったあの時のあの白い花だよ

 

岡本敦郎の昭和25年発表のこの歌は、三月末に故郷を離れて都会に仕事に向かう若人の思いを歌ったもののようで、白い花もコブシやハナミズキだとのこと。

子どもの頃聴いた時は、寂し過ぎてあまり聴きたくなかった歌ですが、今はしみじみと聴けますね。

 

神戸の住宅街近くで今咲く白い花は、馥郁たる香りで人の心をとらえ、数カ月後の大きな実りを約束する豊かな花でした。


[PR]
by hachigatu_no_mure | 2014-05-15 17:27 | Comments(3)

イワカガミ

f0328926_09252988.jpg

八月の群れ同人の追洲流です。


昨日、芦屋と西宮の境の六甲山系を歩いていたら、イワカガミという花が咲いているのを同行の人が教えてくれました。聞くのも見るのも初めての花でした。

花だけを見るとイワカガミの名がふさわしくないようですが、葉を見ると丸く輝いて、昔の銅鏡のように見えるのが名前の由来だそうです。岩場の痩せ地に咲くことが多くてイワと名が付いています。私が見た所は岩場ではありませんが、登山路から少し離れた傾斜地の樹林の下草のように生えていました。

調べて見ると、67日の誕生花で、花言葉は「忠実」でした。

木の間から洩れて来るわずかな光を精一杯照り返しているこの葉を見ると、それぞれの組織の中で汗を流しながら、自分の使命を「忠実」にこなしている人たちの姿が想像されました。花言葉もそういう意味から付けられたのでしょうか。


[PR]
by hachigatu_no_mure | 2014-05-12 09:27 | Comments(2)

八月の群れ会報、届く。

八月の群れ同人の葉山ほずみです。


昨日、ポストに八月の群れ会報が届きました。
いつも忙しい中、野元正代表が作成してくださいます。
前回の合評会のまとめを作って下さった三嶋同人。
皆様本当にありがとうございます!
とても楽しく読ませていただきました。
いいですね、会報!
実は、この会報、すごーく楽しみなのです。
会報を読んでいると、皆様と過ごせた楽しい合評会を思い出します^^
f0328926_13044277.jpg

[PR]
by hachigatu_no_mure | 2014-05-09 13:12 | 八月の群れ | Comments(6)

春の立山

f0328926_21401727.jpg
連休に親戚のある立山の麓に行ったついでに、春の立山を観光して来ました。
室堂は一面の銀世界。まだ冬羽の雷鳥さんも見ましたし、雪の壁で有名な大谷の散策もしました。
観光客は日本人と半々ではないかと思われるくらい台湾人が多かったです。10名ほどの韓国人
登山パーティーも見ました。

さて、私の親戚のある村は旧の上新川郡大山町(今は富山市)です。
山里らしく、ここには山岳小説の題材となった人を生んでいます。
槍ヶ岳を開山した播龍上人と、剱岳の名ガイドである宇治長次郎です。
新田次郎の著作を元に後者は先年映画化もされましたね。



[PR]
by hachigatu_no_mure | 2014-05-06 22:08 | Comments(5)

ある和解

   ある和解

                                        野元 正

 今年、弟浩二から年賀状が来なかった。耕一は元旦の朝、毎年少しずつ減っていく年賀状にちょっとした淋しさを感じる。

黄泉の国へ旅立った友人の賀状がこないのは、訃報を聞いたときの悲しみをもう一度心に甦らせ冥福を祈るしかない。

また、この何年かの間こちらが出したのに、あっちから来なかったり、互いにてれこになり、ようやく折り合いがついて来くなった年賀状は、ほっとした気持ちもあるけれど、心の片隅が冷える。

なかには、今年限りで年賀状の交換は辞めるとはっきり宣言したものもある。これは一方的でなぜか絶交を告げられたようで哀しい。静かにそして自然に途切れる方が余韻があって耕一の心に馴染む。でも、米寿を過ぎた高齢の方からのこんな賀状は、ああ、面倒をかけてしまったと、神棚に上げて今までの厚情に感謝したくなる。

浩二から、二月に入ってメールがきた。

 

年賀状ありがとうございました。

御無沙汰いたしております。お元気にお過ごしのことと存じます。思うところがあって今年から兄貴あて年賀状は辞めました。

悪しからずご了承ください。

私もあと4年で70歳、思うところあって、身辺の整理等を含め自身を振り返っております。

思い起こせば兄貴と兄弟として過ごした14年は終戦から4年経った、貧しい母子家庭の中での時代だったと記憶しています。私の脳裏の中で当時のいろいろな思い出が錯綜しており、複雑な気持ちです。

兄貴と疎遠になって約半世紀の年月が過ぎ、「何故だろう」と考えた時に原因は私の少年期の振舞いや母の入院・死去・葬儀等での私の言動が兄貴の怒りに触れたと理解しています。

人間として肉体的にも頭脳的にも形成されていない少年期の私は、母とある出来ことがあり、当時、母とは複雑な気持ちで接していたのは事実です。今、考えれば母は人間として、一人の女性として、母として大変素晴しい人であったと思うと同時に誇りに思っております。

弁解するつもりはありませんが、こうした私の心境を兄貴に伝えることで自分自身の気持ちの整理が出来るのではないかと思いますので、ご理解いただければ幸です。今は反省と感謝で残りの人生を静かに過ごすことが出来ればと考えています。60数年間の兄貴の存在に心から感謝申し上げます。

 

母は小柄だが、髪は黒く、色の白い丸顔で近所の人から美人だね、と言われていた。耕一もそう思って誇りにしていた。母の仕事は建築設計事務所の下請けで、建築や土木や公園設計のトレースだったが、「目が痛いわ」と言いながらまだPCなどがない時代であったから、どうにか親子が食べていけるだけの収入はあった。

父がいない家庭で、母は父でもあったが、耕一は秘かに母に恋していた。

「今日はお休みよ。もう少し寝ていたらいいわ」と母は眠っている浩二の額に手をおいて言った。耕一はこんなやさしい言葉をかけてもらったことがなかった。羨ましい。耕一は必死で縁側の陽だまりにいる母に膝枕をねだり、耳掃除を頼んだりした。頭に伝わってくる母の大腿の温もりと柔らかさは、母の匂いとともに今も覚えている。

「あなたはお父さんの代わり、甘えてばかりいないで、しっかりしなければね」

 母は耳かきが終わると、容赦なく膝を外した。耕一はすとんと、縁台の冷たさを感じる。

 

 耕一が中学二年になったとき、母は耕一と浩二の英語の家庭教師だといって同僚の一級建築士の男を連れてきた。

母はなぜかとても嬉しそうだった。言葉遣いも態度も普段とは違ったし、黒のタイトスカートの丈が少し短いように思えた。

 ある日、学校から駆けて帰って縁側から部屋を覗いたら、母はその男の身体の下にいた。

 気が付くと、耕一は家の近くの原っぱを学校に向かって走っていた。母の白い大腿が浮かぶ。息が苦しい。胸が何かもやもやしたもので一杯になった。

 それから、耕一は男の来訪を玄関で必死に阻止するようになったが、その辺は後ろめたい気持ちもあったのか、はっきり覚えていない。弟浩二も一緒になって玄関や縁側の鍵を閉め回った記憶もおぼろげだがある。

 今になって考えれば、父のいない母の淋しさは理解できるし、許せることかもしれないが、そのころの耕一の心は煮えたぎっていた。漫画に出てくる騎士になったような気分で母に男を会わせてはならないと思った。

 母は子供たちに気づかれ、男と別れる決心したようで、「ごめんね」と耕一に絶縁の手紙を見せてくれた。母の草書体の字はほとんど読めなかったが、母の気持ちは伝わってきた。

 そのとき、浩二が何かを叫びながらその手紙を引き裂いたような記憶の断片が残っている。あの手紙を破く音は、裂ける浩二の気持ちに重なる。耕一も同じ気持ちだった。

 縁側から射し込む夕陽が、内側の明かり障子を真っ赤に染めていた。

 正月に近い十二月、浩二は、家の隣の神社の賽銭を同じ学校の友だちでないダチと呼び合う中学生と一緒に盗んで警察に補導された。

「警察に浩二を引き取りに行くの。付いて来てお願い。お父さんの代わりよ」

 母は耕一の目を見て言った。行きたくない。浩二の兄でいたくなかった。

「ひとりで行けば……」

 耕一は心のなかで、一緒に行ってもいい、という気持ちもあったのに、自分も同類に見られるのが嫌だった。

母は哀しそうな目を耕一に向けて、

「たったひとりの兄弟だよ」

と目に涙をためて言った。

 結局、母独りで出かけたが、耕一はそのあとを追い、署の入り口に立つ警察官の傍らで、母と浩二が出てくるのを待った。

「中で待ったらいい。暖かいよ」と警官は長い警棒の石突きでトンと床を叩いて言った。

とても寒い日で雪が降り始め、樹々やアスファルトがうっすらと白くなった。

 

 家に帰って来た母と浩二に、耕一は一言も話しかけなかった。「すまないね」と母は言ったが、耕一は自分には関係ない、どうでもいいことと思いたかった。

 何日かして浩二は家からいなくなった。

それから耕一はずっと浩二に会っていない。だから、彼のなかで、浩二は中学生のときのままだ。

 

耕一が大学に入ってすぐ、安心したように母は入院した。末期癌だった。

「癌です。告知されますか?」中年の少し小太りで黒縁眼鏡をかけた医師は、耕一に訊いた。耕一は肯かなかった。恥ずかしいことに癌という恐ろしい病気を知らなかった。母は日増しに衰えっていった。チョコレート色の吐瀉を繰り返して痛がる母。背中や足をさすることはどうにかできたが、下の物の処理を息子にさせることは頑なに拒んだ。痩せて骨と皮だけの身体は、食べ物は一切受け付けなくなったが、尊厳は守っていた。

輸血で見せかけの安息のひとときに、アイスクリームを食べる。

「美味しいわ。ありがとう」

目を細め遠く眺めたら、痩せ過ぎたせいか顎の骨が外れて、ああ、と目が白黒に裏返る。外科の先生が駆けつけて、母の顎は戻った。

その間、叔父を通じて何回も連絡したのに、浩二は一回も病院に来なかった。

「しつこいぞ。ちゃんと連絡してる。俺を疑うんか?」

叔父は苛立った。母は、浩二は? と一言も訊かない。耕一は来ない浩二を憎む。

枝垂れ桜が散るころ、母はひとしきり苦しんだあと、

「あなたは冷たいから、あたしの命日を忘れないようにね」

と耕一の誕生日に逝った。

浩二は葬式にも来なかった。

 やがて浩二は母命の刺青を焼き消し、叔父の会社に就職、結婚し、男と女二子の父親になったことを人づてに知った。

 

 四十五年が経った。

 浩二は遠く北の地で生きている。叔父から住所やメールアドレスを聞いたのか、いつからか毎年の年賀状とメールが時どき届くようになった。文面は当たり障りのない時候の挨拶だった。耕一は一切返事をしなかった。

 しかし、今年は違う。耕一は返信のメールをした。

 

  突然のメールに驚いています。まだ断捨離には、早いと思います。どこかお悪いのでしょうか? 覚悟のメールのように感じました。お元気で過ごされますよう遠くから切に祈っています。
私も年です。娘から身辺整理をするよういわれていますが、なかなか着手できずにいます。貴方からのメールでお互いにそういう年齢に達したのだな、同慶の至りと喜ばねばならないと思っています。
 昔のことは忘れました。母は私にとっても忘れられない素敵な母だったと思います。それに母は貴方を私より何百倍も愛していたと今も思っています。
これからも楽しい刻をお過ごしください。

 

  メールを送った途端、耕一の両肩に重くのしかかっていた何かがすっと飛び散った。

                  了

    (400字詰め原稿用紙約10枚)

 

 

 

 

 

 

 

 


[PR]
by hachigatu_no_mure | 2014-05-01 01:06 | 小説 | Comments(0)