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文藝同人誌 『八月の群れ』 公式ブログ

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ある和解

   ある和解

                                        野元 正

 今年、弟浩二から年賀状が来なかった。耕一は元旦の朝、毎年少しずつ減っていく年賀状にちょっとした淋しさを感じる。

黄泉の国へ旅立った友人の賀状がこないのは、訃報を聞いたときの悲しみをもう一度心に甦らせ冥福を祈るしかない。

また、この何年かの間こちらが出したのに、あっちから来なかったり、互いにてれこになり、ようやく折り合いがついて来くなった年賀状は、ほっとした気持ちもあるけれど、心の片隅が冷える。

なかには、今年限りで年賀状の交換は辞めるとはっきり宣言したものもある。これは一方的でなぜか絶交を告げられたようで哀しい。静かにそして自然に途切れる方が余韻があって耕一の心に馴染む。でも、米寿を過ぎた高齢の方からのこんな賀状は、ああ、面倒をかけてしまったと、神棚に上げて今までの厚情に感謝したくなる。

浩二から、二月に入ってメールがきた。

 

年賀状ありがとうございました。

御無沙汰いたしております。お元気にお過ごしのことと存じます。思うところがあって今年から兄貴あて年賀状は辞めました。

悪しからずご了承ください。

私もあと4年で70歳、思うところあって、身辺の整理等を含め自身を振り返っております。

思い起こせば兄貴と兄弟として過ごした14年は終戦から4年経った、貧しい母子家庭の中での時代だったと記憶しています。私の脳裏の中で当時のいろいろな思い出が錯綜しており、複雑な気持ちです。

兄貴と疎遠になって約半世紀の年月が過ぎ、「何故だろう」と考えた時に原因は私の少年期の振舞いや母の入院・死去・葬儀等での私の言動が兄貴の怒りに触れたと理解しています。

人間として肉体的にも頭脳的にも形成されていない少年期の私は、母とある出来ことがあり、当時、母とは複雑な気持ちで接していたのは事実です。今、考えれば母は人間として、一人の女性として、母として大変素晴しい人であったと思うと同時に誇りに思っております。

弁解するつもりはありませんが、こうした私の心境を兄貴に伝えることで自分自身の気持ちの整理が出来るのではないかと思いますので、ご理解いただければ幸です。今は反省と感謝で残りの人生を静かに過ごすことが出来ればと考えています。60数年間の兄貴の存在に心から感謝申し上げます。

 

母は小柄だが、髪は黒く、色の白い丸顔で近所の人から美人だね、と言われていた。耕一もそう思って誇りにしていた。母の仕事は建築設計事務所の下請けで、建築や土木や公園設計のトレースだったが、「目が痛いわ」と言いながらまだPCなどがない時代であったから、どうにか親子が食べていけるだけの収入はあった。

父がいない家庭で、母は父でもあったが、耕一は秘かに母に恋していた。

「今日はお休みよ。もう少し寝ていたらいいわ」と母は眠っている浩二の額に手をおいて言った。耕一はこんなやさしい言葉をかけてもらったことがなかった。羨ましい。耕一は必死で縁側の陽だまりにいる母に膝枕をねだり、耳掃除を頼んだりした。頭に伝わってくる母の大腿の温もりと柔らかさは、母の匂いとともに今も覚えている。

「あなたはお父さんの代わり、甘えてばかりいないで、しっかりしなければね」

 母は耳かきが終わると、容赦なく膝を外した。耕一はすとんと、縁台の冷たさを感じる。

 

 耕一が中学二年になったとき、母は耕一と浩二の英語の家庭教師だといって同僚の一級建築士の男を連れてきた。

母はなぜかとても嬉しそうだった。言葉遣いも態度も普段とは違ったし、黒のタイトスカートの丈が少し短いように思えた。

 ある日、学校から駆けて帰って縁側から部屋を覗いたら、母はその男の身体の下にいた。

 気が付くと、耕一は家の近くの原っぱを学校に向かって走っていた。母の白い大腿が浮かぶ。息が苦しい。胸が何かもやもやしたもので一杯になった。

 それから、耕一は男の来訪を玄関で必死に阻止するようになったが、その辺は後ろめたい気持ちもあったのか、はっきり覚えていない。弟浩二も一緒になって玄関や縁側の鍵を閉め回った記憶もおぼろげだがある。

 今になって考えれば、父のいない母の淋しさは理解できるし、許せることかもしれないが、そのころの耕一の心は煮えたぎっていた。漫画に出てくる騎士になったような気分で母に男を会わせてはならないと思った。

 母は子供たちに気づかれ、男と別れる決心したようで、「ごめんね」と耕一に絶縁の手紙を見せてくれた。母の草書体の字はほとんど読めなかったが、母の気持ちは伝わってきた。

 そのとき、浩二が何かを叫びながらその手紙を引き裂いたような記憶の断片が残っている。あの手紙を破く音は、裂ける浩二の気持ちに重なる。耕一も同じ気持ちだった。

 縁側から射し込む夕陽が、内側の明かり障子を真っ赤に染めていた。

 正月に近い十二月、浩二は、家の隣の神社の賽銭を同じ学校の友だちでないダチと呼び合う中学生と一緒に盗んで警察に補導された。

「警察に浩二を引き取りに行くの。付いて来てお願い。お父さんの代わりよ」

 母は耕一の目を見て言った。行きたくない。浩二の兄でいたくなかった。

「ひとりで行けば……」

 耕一は心のなかで、一緒に行ってもいい、という気持ちもあったのに、自分も同類に見られるのが嫌だった。

母は哀しそうな目を耕一に向けて、

「たったひとりの兄弟だよ」

と目に涙をためて言った。

 結局、母独りで出かけたが、耕一はそのあとを追い、署の入り口に立つ警察官の傍らで、母と浩二が出てくるのを待った。

「中で待ったらいい。暖かいよ」と警官は長い警棒の石突きでトンと床を叩いて言った。

とても寒い日で雪が降り始め、樹々やアスファルトがうっすらと白くなった。

 

 家に帰って来た母と浩二に、耕一は一言も話しかけなかった。「すまないね」と母は言ったが、耕一は自分には関係ない、どうでもいいことと思いたかった。

 何日かして浩二は家からいなくなった。

それから耕一はずっと浩二に会っていない。だから、彼のなかで、浩二は中学生のときのままだ。

 

耕一が大学に入ってすぐ、安心したように母は入院した。末期癌だった。

「癌です。告知されますか?」中年の少し小太りで黒縁眼鏡をかけた医師は、耕一に訊いた。耕一は肯かなかった。恥ずかしいことに癌という恐ろしい病気を知らなかった。母は日増しに衰えっていった。チョコレート色の吐瀉を繰り返して痛がる母。背中や足をさすることはどうにかできたが、下の物の処理を息子にさせることは頑なに拒んだ。痩せて骨と皮だけの身体は、食べ物は一切受け付けなくなったが、尊厳は守っていた。

輸血で見せかけの安息のひとときに、アイスクリームを食べる。

「美味しいわ。ありがとう」

目を細め遠く眺めたら、痩せ過ぎたせいか顎の骨が外れて、ああ、と目が白黒に裏返る。外科の先生が駆けつけて、母の顎は戻った。

その間、叔父を通じて何回も連絡したのに、浩二は一回も病院に来なかった。

「しつこいぞ。ちゃんと連絡してる。俺を疑うんか?」

叔父は苛立った。母は、浩二は? と一言も訊かない。耕一は来ない浩二を憎む。

枝垂れ桜が散るころ、母はひとしきり苦しんだあと、

「あなたは冷たいから、あたしの命日を忘れないようにね」

と耕一の誕生日に逝った。

浩二は葬式にも来なかった。

 やがて浩二は母命の刺青を焼き消し、叔父の会社に就職、結婚し、男と女二子の父親になったことを人づてに知った。

 

 四十五年が経った。

 浩二は遠く北の地で生きている。叔父から住所やメールアドレスを聞いたのか、いつからか毎年の年賀状とメールが時どき届くようになった。文面は当たり障りのない時候の挨拶だった。耕一は一切返事をしなかった。

 しかし、今年は違う。耕一は返信のメールをした。

 

  突然のメールに驚いています。まだ断捨離には、早いと思います。どこかお悪いのでしょうか? 覚悟のメールのように感じました。お元気で過ごされますよう遠くから切に祈っています。
私も年です。娘から身辺整理をするよういわれていますが、なかなか着手できずにいます。貴方からのメールでお互いにそういう年齢に達したのだな、同慶の至りと喜ばねばならないと思っています。
 昔のことは忘れました。母は私にとっても忘れられない素敵な母だったと思います。それに母は貴方を私より何百倍も愛していたと今も思っています。
これからも楽しい刻をお過ごしください。

 

  メールを送った途端、耕一の両肩に重くのしかかっていた何かがすっと飛び散った。

                  了

    (400字詰め原稿用紙約10枚)

 

 

 

 

 

 

 

 


by hachigatu_no_mure | 2014-05-01 01:06 | 小説