野元です。
源平合戦一の谷の戦いで名高い神戸の須磨浦公園に奇妙な塔がある。昭和16(1941)に紀元2,600年記念として建てられた塔だ。正式名称は「八紘之基柱」(はっこうのもとはしら)だが、一般には「八紘一宇の塔」(はっこういちうのとう)と呼ばれ、高い柱のような塔があったという。「八紘一宇」とは、「日本書記」の<六合(くにのうち)を兼ねて都を開き、八紘(あめのした)を掩(おほ)ひて宇(いへ)にせむこと、亦可(よ)からずや>から出典。本来の意味は<世界を一つの家とする>という確かに平和思想の意味だが……太平洋戦争のとき、日本の海外進出を正当化するための標語として使われた。現在はその台座を利用して、新谷秀雄『薫風』と題する女神像に変わっているが、塔の背後に神武天皇の東征や富士山のレリーフが残り、コンリートで塗り籠められていたが剥落した碑文(神武天皇橿原ニ建国元肇ノ大典ヲ行ヒ給ヒ吾等カ遠祖亦ソノ禮ニ侍シテ威儀ニ備ハル神獣皇皇タリ勅シテ宣ハク八紘ヲ一宇トシ……判読不能)もある。また、台座には大東亜共栄圏を示すらしい地球儀や伊勢神宮や橿原神宮や皇居を遙拝する方位板もある。GHQは「八紘一宇」を平和思想との日本側の主張を入れて完全破壊は免れたようだが、「平和の塔」とは、考え方によっては極めてきつい風刺にもとれる。